あとがき

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あとがき

私がなぜ『印信』を書く気になったのだろうか、考えてみる。有名になりたいためではない。物を書くことが好きだからということもない。そういうことは、まったく無関係である。
私が『印信』を書いたのは、書かざるをえないような、業界の事情を見出したからである。
別に書かなくても安閑としておられる。ひま余暇だから書いたということは一度もない。それとは逆に、自分で永年にわたり関心をもっていたことではあった。どんなに忙しいときでもかけるものだとも思った。しかし書くことのむずかしさをいやというほど味わった。
山梨県の印章が広く世の中に知れ渡ってからすでに久しい。水晶原石の発掘ということが、印章業発展の起因ではあるが、しかし印章産業が興るにふさわ相応しい条件が整っていたというわけでもないのである。いながらにして隆盛を見るような、立地条件でもなかったのである。
現在のように「印小王国山梨」といわれるまでに発展してきたのは、永い年月にわたり数多くの先輩たちの、たゆまぬご努力とご苦心、いばらの道を開拓してきた販売関係者(行商)・篆刻技術者・研磨技術者らの先駆者の皆様の努力と見るべきであろう。
平成三年の早春、業界仲間とハンコ談義の中で、山梨の印章の歴史について単独刊行書というものがないさみしさに対して、なんとか将来へ残すものが必要との意見があり、長老といわれ、非才薄学をかえりみず、経験をなによりとして記述することに心に決めたのである。
今はなき内藤香石先生(私の主たる指導者であり、大きな尊敬する友人でもある)にはこの業に籍をおいて以来お教えを頂いた。その他県内はもちろん、全国の諸先輩より受けた教導に思いをいたし、古き記録をあさり求めて筆をとることにした。
平成五年七月二十一日は私の誕生日であり、古希の日でもあった。また、七月二十一日は内藤香石先生の命日である。泉下の先生のご支援とお力添えを頂けることも信じて七十歳の記念日への完成を目指した。
東奔西走、知る人を捜し求め、記録をたどり、伝統産業となった歴史を探索しつつ、印章業界の発展をと念じた次第である。
『印信』は、私の業界人として好きな語句であり、「印の用たるは実に信を取るにあり」と解釈するが、私の会社の社訓「誠実と感謝」と理念は同一であるとさとり、私の人生訓としている。伝統を尊ぶ心であり、古きを知り新しき創造を加えて業界は継承発展するものであろうと念じている。
境まで先人たちの努力の歴史を解することによる自らの業に誇りをもって、業のあゆみを後世に伝えなければならないと、責任を痛感した。
カルタゴという国はアフリカ北端、今のチュニジヤあたりに存在していた国である。紀元前の古代世界で最も繁栄した貿易立国であった。
この国の人々は無理の商人で、働き蜂といわれていた国民性の国家であった。戦後よりバブル崩壊までわが国もそうであったと思う。この国は便利で安価な商品を作るのに誠に巧みであった。政事、軍事、教育など文化面は他国の制度でまにあわせ商売で得たとみ富のみを国是としていたような国であったと伝えられ、一国だけの繁栄、一人だけ儲けるという国柄であった。このようなことはいつの時代にも許されるものではない。カルタゴ国家はローマ帝国に三度攻められている。紀元前一四六年、将軍スキピオによって亡ぼされるが、スキピオによって放たれた火は十四日間も燃え続け、火の消えたときは、紀元前最大の経済国家は地上から消滅したといわれている。
山梨の印章業も個人主義的で封建社会的の集団と化していると思われるが、二十一世紀を目前にして第二のカルタゴにならないよう願う次第である。
私もこのみち五十年にならんとしている。愛する印章業界の将来に思いをいたすとき、敬愛する先輩諸兄の足跡をたどることも無駄ではないと思っている。OA機器の進歩にともないロボットによる自動彫刻機や新素材の印材も出現し、行政における各機関の捺印制度の簡略化など、印章業界の未来は決して楽観できないと思う。他業種の参画も見られるが消えることのないハンコ行政のわが国である。今こそ印章業にたずさわる方々よ、意識改革を起こし印章文化の継承と発展に誇りをもち団結すべきであろう。
編集にあたり年代順に従ったつもりであるが、問題別にまとめた部分もあり、前後重複する部分もあり、また収集史料の不足により誤りや脱落があるとおもうが、お許しを根がいたい。人名は史書記述の方法に従って継承を省略している。
なお、参考文献として『水晶宝飾史』、『六郷町誌』、『花押の歴史』(?山巨楠)、を使用させていただいた。また、細字左平(金沢市白鶴堂)、生島足島神社(上田市)、六郷町、田草川印房、藤原育弥氏(甲府市黒平町)小島勇氏(甲府市元紺屋町)などのご協力に預かったことを謹んで御礼申し上げると共に附記して感謝申し上げる。

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