印章史略年表

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印章史略年表

紀元前(七〇〇〇)中近東(東アジア)地方で、封印(所有証明)として捺印の週間が行われていたと見られる。
紀元前
(五〇〇〇-三〇〇〇)
縄文石器時代中期、塩山市萩原地区・牧丘町西保より水晶鏃が同時代の遺跡より出土する。それ以来県内各地より出土する。
紀元前(二〇〇〇)中国「後漢時代」に紙が発明される。ハンコの捺印の習慣が生まれる。
延喜五(九〇五)延喜五年に完成した延喜式神明帳に記されている塩山市竹森の玉諸神社の御神体は巨大な水晶結晶とある。
建治元年(一二七五)夢窓国師伊勢に生まれ、一族と甲斐へ移る。
応長元年(一三一一)普明国師甲州の水晶を取り寄せ京都の玉屋で数珠を作らせる。
天授五年(一三七九)足利義満は、倭冠埜圧の要請に来日した明国・朝鮮の使者に土産として甲州水晶を送る。
大永元年(一五二一)武田信玄誕生。交付し古府中町に武田信虎菩提寺大泉寺を創建。寺宝に信玄愛用の水晶大念珠を秘蔵。
天正三年(一五七五)金峰山へ登山した行者が、水精(水晶の原石)を発見する。
天正八年(一五八〇)ポルトガル、スペインとの通称が始まる。西洋彫刻技術が渡来し、信長の命によりハンコの篆刻者が選ばれる。細字の姓と帯刀を許される。
天明四年(一七八四)「漢委奴国王」の金印が発見される。
文化十一年(一八一四)甲斐の地誌『甲斐国志』には、水晶産地として・金峰山・水晶嶺・石水寺山・金子峠・竹森玉宮社中・牛奥通明神・天目山・石森丘水晶渓・河浦村雷平・苗敷山・淺川村水晶山・黒平坑山などが記されている。
天保五年(一八三四)京都より玉屋矢助が水晶の原石の買付けのため、甲州~京都間を往来する。この間に御岳の神宮に玉造の技法を伝授する。
嘉永七年(一八五四)三月発行の「甲富買物独案内」に水晶細工所として、柳町三丁目深屋甚兵衛・柳町三丁目土屋宗助・金手町亀や彦飢右衛門の産業者の名が記録されている。
文久元年(一八六一)水晶印の篆刻がはじまる。『水晶宝飾史』。
明治二年(一八六九)民間の鉱山開発の許可がなる。黒平外三ヵ村の水晶採掘が始まる。甲斐府を改め、甲府県とする。
明治四年(一八七一)十一月、甲府県を改め、山梨県とする。
明治六年(一八七三)オーストリアのウインで開かれた万国博覧会へ御岳の塩入寿三らが作った金桜神社社宝の経五寸三分(約一六センチ)の水晶玉が出品される。帰国の際、遠州灘で汽船が沈没して共に海に沈む。同万博へ、甲府の土屋源助、水晶印材などを出品。十月一日、大政官令により国民等しく印章の使用制度が下付される。
明治九年(一八七六)六月、藤村県令が甲府城跡へ勧業試験場を設置。二年後に、勧業試験場へ水晶加工部を設置し、多数の優秀な技術者を養成する。受講生の一人、長田市太郎(市川大門町)は選抜されて清国へ派遣され研磨技術の研修を受ける。
明治十年(一八七七)南陽堂、田草川印房(田草川徳次郎)甲府市柳町で印章店を開業する。県下では最も老店で原点手の三代目が営業を継続している。
明治十一年(一八八七)御岳の水晶加工業者は次々と甲府へ移り、この年の三月、六郷町の業者との水晶印の取引を始める。
明治二十三年(一八九〇)七月、水晶郵送が許可され、通信販売の道が開ける。
明治二十七年(一八九四)十一月『山梨艦』の「山梨繁盛明細期」に水晶関連の主要業者名が載る。
八日町玉潤堂・柳町清玉堂・三日町深輪屋・桜町土屋宗幸・柳町含幸堂・柳町玉曜堂・柳町土屋友次郎・桜町丹沢駒二郎・柳町南洋堂・飯沼村精美堂・田草川印房(以下甲府)・富里村佐野加久太郎・西島村笠井幸作・身延村深沢守作・五開村望月儀助(以下郡部)
明治三十年(一八九七)土屋宗助により業界の最初の団体「甲府水晶組合」が結成される。同年鴨狩津向村(六郷町)の笠井万治郎が京都の玉屋と水晶心材の取引を行う記録が日記にのこる。この頃より河内地方(岩間・楠甫)を中心として印章販売の行商が盛んになる。
明治三十四年(一九〇一)甲府市柳町三丁目山田白峰が峡中文学七号の誌上に水晶印の通信販売の広告を出す。
明治三十六年(一九〇三)甲府市の甲斐物産商会が全国への通信販売を開始する。 初めてカタログに第三種郵便物の認認可がおりる。そのカタログに当時の字体は楷書、行書、古天とあり、刻料一文字金三十銭以上壱円以下、印材一本認印三十銭から壱円、実印一本五十銭から弐円とある。
六月、中央線八王子-甲府間が開通する。
明治四十年(一九〇七)八月、大水害があり県下各河川沿いの伐採開墾が禁止となり、また水晶採掘も不可能となる。そのため原石は全く底をつき、国内各地の移入で水晶業界は命脈を保つこととなった。しかし西八代郡下(河内地方)では現金収入のためか、一層の行商最盛期に入っていく。
明治四十一年(一九〇八)峡南地方、第一回の水晶の隆盛期に入る。
明治四十二年(一九〇九)石原宗平が『篆刻宝典』を刊行する(甲府空襲で焼失)。篆刻師土屋宗幸が東京へ移る。
大正六年(一九一七)十一月、甲府水晶篆刻同業組合が結成される。
大正七年(一九一八)甲府市の業者がブラジルより大量の水晶原石を輸入し、山梨水晶のこん枯渇を補う。
大正十年(一九二一)甲斐水晶販売同業組合が結成される。事務所は岩間村(六郷町)組合長長田政五郎。
大正十二年(一九二三)土屋華章、めのう研究のため北海道へ渡る。
昭和三年(一九二八)土屋華章めのう火入染色法を完成する。
三月、富士身延線全線開通。
昭和六年(一九三一)米沢良知、水晶印彫刻の噴射篆刻法を完成する。
昭和七年(一九三二)角田武雄がクリソをしのぐ染色めのうを作る。
北海道にメノー原石が産出されたので北海道庁へ採掘の許可を申請する。それまでは若狭地方(福井県)から購入し、その価格は北海道産の三分の一ぐらいで入手できたが量的に少ないので、藤原正広は、品質は劣るが価格の安いブラジル三のメノー原石を仕入れ、業界に歓迎された。昭和十年にはメノー製品も若狭を上回り、水晶と共に山梨は日本一の生産地となった。
クリソ(グリン色に着色した)はドイツで研究生産輸入していたが、山梨高等工業学校(現・梨大)の加納直綱教授の研究の結果と、民間業者の研究とにより、ドイツ製品をしのぐ着色メノーの技術が完成した。また焼き入れ法を完成させたのは土屋華章であるといわれている。その後、山梨県高騰工業学校教授、石田与之助・石田道夫らの指導のもとに赤、青、黄色と各色の着色に成功した。
昭和十五年(一九四〇)奢侈品等製造販売制限規則が実施され象牙・虎目石等の製造禁止となり、十月七日以後は販売禁止となる。
国家総動員令下る「七、七禁止令」。
昭和十六年(一九四一)十二月八日、太平洋戦争勃発。すべての印材輸入が途絶する(大正七年から二十四年間輸入していた)。代金引換郵便が廃止となり通信販売が困難となる。
昭和十七年(一九四二)元県連会長七沢公教は台湾産の水晶原石採掘に着手する。親交の厚かった甲府市出身で台湾に在住の弁護士名古屋貞夫を通し、四月キールンに有限会社台湾水晶工業所を設立。引割機二台・研磨機四台を求め技術職人三名と共に渡台。
昭和十八年(一九四三)タツキリ渓にシランカ蕃舎を建設し、工場化を成功し終戦まで水晶原石と製品を内地に輸送したが心なかばにして、昭和二十一年三月帰国。商工組合法の公布印章に対し三〇%の物品税が課税される。
昭和二十年(一九四五)十一月、印材問屋早くも開店。甲府市常磐町(中央二丁目)、山梨国産商会(七沢斉宮)は、戦後開業の第一号となる。
昭和二十二年(一九四七)山梨県印章業組合は甲府市湯村塩沢寺で、仏故者慰霊祭と同温泉で印章技術講習会を開催する。これを記念した大橋素十、内藤香石その他五十名ほどの記念写真が現存する(堀内印房所有)
昭和二十五年(一九五〇)山梨県印判用品卸商工組合を結成。初代会長に七沢斉宮が就任。加盟業者十三社。全日本印章業組合連合会で印章法案請願運動がおこる。
昭和二十六年(一九五一)山梨県印章業組合連合会結成。県下十六支部制を設けて発足したが、よく二十七年度の機構改革で現在の単位組合制度となり、今日に及ぶ。当時の単位組合は左の通りである。
(1) 山梨県印判用品卸商業組合-全県
(2) 山梨県印章業組合-甲府
(3) 六郷印章業組合-六郷
(4) 中央印章業組合-市川
(5) 山梨県卒業記念印章業組合-全県
(6) 甲府印章商業組合-甲府
(7) 山梨県印章彫刻業組合-峡南
昭和二十六年(一九五一)物品税法改正により印判用品水晶印等は物品税免除となる。
全日本印章業組合連合会京都大会で、印章法案の国会提出請願が決議される。
昭和二十八年(一九五三)関東印章業組合連盟で、印章法案の請願は時期尚早と決定する。
印章類は全名課税対象より除外となる。
山梨県印章業組合連合会は関連組合にあって法制には絶対反対と最後まで主張する。
昭和二十九年(一九五四)四月十八日、山梨県連総会を開催し印章法案請願に対し最後まで反対決議する(参加者二百五十名)。
七月全県印章業組合連合総会(箱根三昧荘)で県印連は印法に反対し、東、西は賛否両論件、印法問題がこじれ、全日印連は東、西に分裂する。東は全国印章業組合連合会、西は全国印章師総連合会となる。
昭和三十年(一九五五)五月十四日、関東印章業組合連合会山梨大会(湯村昇仙閣)が、山梨県で初めて開催される。
昭和三十一年(一九五六)分裂していた東西が和解し、全日本印章業組合連合会と名称を改め再出発する。
五月、全国印判用品商工業組合連合会山梨大会開催。
県印連と在京印章県人会と合同会を開き先駆者の慰霊祭が行われる。(湯村塩沢寺)
山梨県印判用品卸商工業協同組合が認可される。(県知事天野久)初代理事長鈴木泰。加盟十三社。
昭和三十三年(一九五八)東京印章業組合は総会で印章法案を採決し、反対多数で否決する。この時点で全日印連の請願は廃棄となる。
五月、全国印判用品商工業組合連合会山梨大会開催(箱根・竜宮殿)
昭和三十四年(一九五九)印章彫刻技能検定制度が実施される。
昭和三十五年(一九六〇)五月、全日本印章業組合連合会熱海大会が開催され、印章法案は廃止と決議される。
昭和三十七年(一九六二)八月、山梨県卒業記念印章業組合が結成される。
十月、山梨県既刻印章組合が結成する。
印相印の販売が始まる。
昭和三十九年(一九六四)山梨県印章業組合連合会の総会が開かれ、組織の変更を決議する。理事を各単位組合長としてその中より会長副会長を選任する。理事会の推薦を請けて推薦理事制度を定める。
第一回推薦理事者渡辺撰治朗・茂手木勇・鈴木二郎・七沢公教・深沢鰍石・波木井高徳。十二単組と計十八名で県連の運営に当たることに決まる。
五月十一日全国印旛用品商工業組合連合会山梨大会開催(湯村・常盤ホテル)。
昭和四十年(一九六五)五月二十四日、関東印章業組合連合会総会、第二回山梨大会開催。
昭和四十三年(一九六八)内藤香石山梨県文化功労賞を受賞。光電式彫刻機が山梨県に導入される。
五月、全国印判用品商工業組合連合会山梨大会開催(諏訪市・ホテル浜の湯)。
昭和四十七年(一九七二)五月、全国印判用品商工業組合連合会山梨大会開催(石和ホテルふじ)。
昭和四十八年(一九七三)オイルショックが起こり経済が混乱する。
昭和四十九年(一九七四)業界も不況の様相を呈す。
九月二十三日、モテギ(株)業界で初めてのスタンプフェアを開催する。
昭和五十年(一九七五)関東印章業組合連合会総会山梨大会開催(石和グランドホテル)。
昭和五十一年(一九七六)一月、山梨県印章業組合連合会総会で第三代会長に七沢公教が選出される。
五月、全国印判用品商工業組合連合会山梨大会開催(修禅寺ホテルみゆき)。
県下の出来合認印の生産本数約二百万本と推定される。
昭和五十二年(一九七七)七月七日、全日本印章業組合連合会、全国印章業卸商工組合連合会、全国鋳造ゴム印製造総合連合会の三者代表者会議が上の精養軒で開催される。出席者四十二名。茂手木勇、谷川正夫、正副会長出席。
(1)印相印販売に対する話題が中心となったが、関西印材製造関係業者より、象牙、水牛材共に山梨で七十%以上は消化していると発言があるも、出席者にはなんの発言も与えず空回りの会議で終わった。
(2)彫刻技術から、鋳造ゴム印の製造にいたるまで山梨は最優秀である今後山梨を全国業者の下請け県として、発注を積極的にすべきである。山梨の技術集団に対して全日印連として、発注を積極的にすべきである。山梨の技術集団に対して全日印連として調査をしていなかったことは反省すべきである。今後は山梨県そのものを前向きに考慮するべきであるという提案もあった。
(3)印相印販売の全日印連の決議は撤回すべきであるか否か、挙手を要望するとほとんど全員が撤回すべきであると賛成であった。この会議は山梨県に有利に進行された会議であった。
昭和五十三年(一九七八)二月、鈴木昭二郎(商工連副理事長)六郷町町長に当選する。望月貢・渡辺撰治朗と三代にわたり印材卸業者が同町長に就任する。
山梨県印章業組合連合会の会員増強により、組合員は四〇三名となり、会員数は全国で第四位となる。七沢会長の全方位計画一年目でこれが実現する。
ケース類三十%値上げ。通販・訪販の販売頭打ちとなり需要が減少。
四月、ワシントン条約が業界を大動する。自然環境保全。動植物愛護の問題が世界的な運動に入り、初めて象の生態調査から輸出入禁止の案件がワシントン会議で議論される。
六月、香港総督とアメリカは象保護のため国際条約で第一類に調印する。
香港市場象牙暴騰する。併せて業界各メーカーは、約十六%の値上げを通告する。
七月、ヨーロッパ各国も象牙の輸出入禁止が決定する。アメリカは次のワシントン条約会議決議の間は原産地証明書の義務付けを提案し、象牙の密猟防止策を打ち出す。
九月、政府税制調査会が発足する。一般消費税の導入について設置される。これまでの物品税はなくなり、山梨県内の貴金属・装身具業界はこれに賛同し、政治的にも新税の導入を協力に推進する。
十月二十四日、山梨県印章業組合連合会は、十二組合総組合員数四〇三名の増強に伴い、組織変更を実施。下部ホテルで臨時総会を開催。
加盟組合 六郷町印章業組合 土屋武雄・山梨印章彫刻組合 渡辺寛・下部町印章業組合 遠藤義良・甲府印章商業組合 松田武・山梨県印章業組合 和田一正・山梨中央印章業組合 小林富雄・山梨県卒業印組合 遠藤豊・山梨県印商店組合 上野芳清・山梨県鋳造ゴム印組合 望月忠桜・山梨県出来合印組合 樋口泰男・山梨県印判用品卸商工業協同組合 茂手木勇・山梨県印章ケース組合・天野一政の計十二組合。組合員数四〇三名と発表される。
十一月、全国印判用品商工業組合臨時役員会開催(名古屋市)。
単独フェアーと招待販売に関する討議が行われ、採決の結果、東部組合は自粛。西日本組合は条件付く解除。山梨と中部組合は白紙で結論持ち越される。
個展を廃止、組合展に統一すべきであると意見が出るが結審にならず。
昭和五十四年(一九七九)二月、全国印章漁組合連合大会(名古屋)は、事実上印相印の反対の解除を打ち出す。併せて一般消費税の施行の反対を決議する。
内外精器、光電式直国機三千台(発売台数)を越すと発表。
六月、黒丹材の出来合認印が市場に登場する。出来合認め陰陽ケースも五十本から一万本に移行しエスカレートが始まる。
七月、原油の値上がりに伴い、西日本印材製造連盟は、九月より各種印材の一斉値上げを通告。
一月二十四日、甲府市印章業振興事業推進協議会が発足する。初代会長七沢公教就任。会議では甲府市印章産業の産地形成の強化を促進し、産地の基盤づくりを行い、印章産業の振興を図ることを決定した。
二月、日本聖印(名古屋)が県下に三ヵ所の営業所を開設する。甲府市伊勢町二ノ三ノ二、同青沼三ノ十二ノ三、山梨市小原西九五一ノ三とあり年商七億円と発表チラシを県内に折り込む。
五月、全国印判用品商工業組合連合会山梨大会(石和・ホテル八田)
六月七日、関東印章業組合連合会(神山田温泉)総会を開催。協力の要請により山梨県印判用品卸商工業協同組合として展示協力する。
八月に入り、像の保護の問題にからみ象牙駆け込み輸入が増大する。
九月、西日本印判用品商工組合は、不況対策として「印鑑保証制度」のせく制定案が討議される。小売店で販売された実印に限り商工組合が盗難、破損等について一年間の期限付きで保証するとする。
鋳造ゴム印業者も不況のため全鋳連が下請け価格の値上げを決定する。
昭和五十六年(一九八一)黒水牛材の四分丸⑫五分丸⑮の出来合印が出現する。
一月、流通機構が乱れる。山梨県印判用品卸商工業協同組合は、全国の各メーカーに流通機構の確立のための要請状を発送する。
四月、全国の印章各組合より山梨の通信販売、出商販売の業者に対する印相印販売の反対運動が起きる。不況のためもあり再び山梨業界のしめだしが怒濤の様に論議される。
四月、東日本印判用品組合が関東印章業組合連合会総会での展示会の協力を廃止と決定する。
六月三日より二十三日まで山梨県印判用品卸商工業協同組合は、中国へ研修旅行を実施。団長茂手木勇
工芸美目師
中国芸美目学会会場分会会員
中国上海市法篆刻研究会会員
沈 受覚先生 五十八才
? 友石先生 五十三才
袁 慧敏先生 四十二才
中国の上海市工芸館、印章篆刻執木室で、右の三先生と実技と懇談会を開き三時間半余にわたり、親しく組合員と懇談する。
七月、関東印章業組合連合会総会を熱海ニューふじやホテルで開催。山梨組合のモテギ(株)・(有)一源印材店二社が要請により卸業者として展示会に出展する。
九月、印相鑑定システムのコンピューターが出現する。
全日本印章組合連合会は、全国の組合を通して消費者の印章に対するアンケート調査を実施(九月・十月の二ヵ月間)。調査項目は四項目。
十月二十六日、七沢公教(第三代山梨県印連会長)山梨県政功績者として受賞する。
十月、山梨県印判用品卸商工業協同組合へ次の四社が加入する。谷川商事㈱ 谷川正夫・一瀬義印西店 一瀬茂夫・増山印材店 増山貞義・丸山製作所 勝原毅。
十月二十八日、山梨県印章業活路開拓推進協議会準備委員会を開催する。
山梨県印判用品卸商工業協同組合、山梨県印章ケース製造協同組合の二協組を窓口として結成に進み、山梨県より助成金が下付されることになる。
各組合の理事長、組合長が準備会議を開き結成される。(労農会館)
十二月五日、活路開拓協議会全体総会を開催。組合組織強化には銃に組合を統計的に集約統一することが絶対の条件と議する。初代会長 七沢公教
昭和五十七年(一九八二)一月二十四日、山梨県印章業組合連合会総会開催。第四代会長に樋口泰男が選任される。
象牙製品約十五パーセント値上げ実施する。印章ケース類約三十パーセント値上げを打診。
二月、山梨県印章業活路開拓推進委員会を労農会館で開催。
三月、活路開拓推進委員会を活路開拓調査指導事業推進委員会と改称し、活動方針を決定する。七沢会長ビジョンを発表する。
全国に向けて抽出アンケートを実施する。
四月、内藤香石先生、勲四等瑞宝賞を受賞する。
日展参与
日展無鑑査 日展参与毎日書道展審書会員
日本刻字協会々長 山梨書道協会々長
山梨県印章業組合連合会顧問
山梨、東京地区印章技能検定委員
山梨市文化協会々長 芙蓉印会主宰
六月、峡南地区地場産業振興推進協議会を結成する。印章業界織小林富男(県連副会長)が理事に就任する。
七月、県連だより編集委員会を開催。小林富雄副会長委員長に決まる。
九月、活路開拓調査指導事業推進委員会の第一回事業の消費者アンケートを発表。公表される。
項目
(1)実印、銀行員、認印の使い分け、八十九パーセント
(2)印相印の信頼度について 信ずる 十四パーセント
(3)山梨の業者から購入したことがある 八十三パーセント
(4)山梨の印章に関するイメージは全国一である 五五、七パーセント
(5)印章の所有数は三本以上 七十二パーセント
(6)購入した方法は 専門店 五十一パーセント・通販 十九パーセント
文具店十六パーセント・その他十四パーセント
十月、スタンペン発売(谷川商事㈱)
全国印章価格調査表刊行 井上桂舟(山形)
十二月、印章ケース類がファッション化に入る。皮革に色彩豊かなカラー模様入り製品が各メーカーより市場に登場する。
昭和五十八年(一九八三)一月、全自動ロボット彫刻機「DIRB二〇〇一号」大栄商店より発売される。人手不足の昨今、ロボットの活用は有効と認めていても、社会の態勢、消費者からみた印章への理念、アウトサイダーへの関係等と、書体のオリジナルなど多くの業界への関連を含めて議論が全国に沸騰する。
タイ国よりシャム柘植材が大量に入荷する。小判材に換算して五十万本分という。
二月、山梨県印章業活路調査指導推進委員会によるシンポジュウムを開催。講師中小企業診断士守屋嘉輝・ゲンダイ出版社長真子鎮。
山梨県より助成金が下付される。
わが国の経済が不況の年であり、印章業界も山梨県印章業組合連合会結成以来初めてのことである。
二月、第一回印判用品仕入れ市が開催される。主催、東日本印判用品組合製造事業部。場所、甲府駅舎にP・Rのため「印章の本場、山梨」の大看板が掲示される。(印章活路調査指導委員会)
七月、統一教会の訪問販売の問題が新聞紙上に初めて取り上げられる。多宝塔・ツボ・念珠・朝鮮人参などの暴利販売法と、信憑問題がシュア快適問題として報道されるが、その中に印相印鑑も含まれ、三本セット三十万から百万円とある。
八月、業界の流通機構乱脈を極める。業界は不況の波をかぶり、メーカー問屋・小売業者への流通は完全に崩れようとした様相になり、山梨県印判用品卸商工業協同組合は、全国の印材、付属品事務用品の各メーカーへ要請書を発送し善処を促す。
要請書
自由経済下において自由競争は決して不思議ではありませんが、組合員以外へのメカーよりの商品が出回ることは当然顧客獲得と企業防衛から過当競争という問題が起きてまいります。メカー様にもご迷惑となり、市場の混乱が起きないとも限りません。引いては業界自ら首を絞める結果と相成りますので、各メカー様には、この事態を十分ご理解していただきたく存じます。全国はもとより、山梨県印判用品卸商工業組合員以外への直売は自粛していただきたく御要請申し上げる次第でございます。
昭和五十八年八月一日
殿
昭和五十九年(一九八四)二月、全国印判用品商工業組合連合会臨時役員会を大阪市教育会館で開催。議題、業界の深刻な不況対策について。
四月、六郷町印章事業振興推進協議会設立。初代会長に土橋武夫就任。
五月、甲府市印章事業振興推進協議会の会長に茂手木勇就任
五月、全国印判用品商工業組合連合会総会山中湖マウント富士で山梨大を開催。
五月、山梨県印判用品卸商工業協同組合の総会を開催。理事長長谷川正夫就任。
九月、光電式彫刻機普及数五千台を超える。
十月、印納社が完成する。京都市下鴨神社内に全国の同業者よりの寄進がみのる。
十一月、象牙製品二十パーセントの値上げをメーカーが実施する。
昭和六十年(一九八五)一月、日本軽工業品輸入協同組合象牙部会を設立、通産省へ届出認可される。東京・大阪・山梨・愛知より業者二十四社加盟と発表される。
一月に本電信電話(株)「NTT」民営化発足。NTT社名変更に伴う印鑑の発注本数四千五百万本という。県下で受注したのは焼く二百本前後であった。
一月、スタンプ台、朱肉類の商品約二十パーセントいっせいに値上げ実施。
四月、自然保護、動物愛護国際会議(ブエノスアイレス)始まる。加盟国八十七ヵ国、日本も始めて参加する。
五月、日本軽工業品輸入協同組合象牙部門会は、象牙材の輸入証明の発行を通産省へ要請する。同時に象牙印材メーカーより、即日二十パーセントの値上げ実施となり、最高値の並材二寸丈五分丸一万円と発表される。
六月、インカード第一号印鑑が出現する。変質印象とも言える形やぶりである。
六月、関東印章業組合連合総会山梨大会を石和観光温泉ホテルで開催。参加人員最高の四百五十有余名となる。山梨県印判用品卸商工業協同組合はこれに協賛して初めて大々的に全国のメーカーの協力を得て、協組のフェアー第一回とし公表を頂き関連業者の参加増強に協力。
七月、山梨県印章販売促進委員会を設置する。山梨県地場産業センター(甲府市善光寺)の開設に伴い、展示コーナー・販売コーナーの設置が決議され、委員会に県連副会長小林富男を決定する。
九月十三日、山梨県地場産業センターがオープンする。樋口泰男県連会長祝賀式に参列する。内藤香石の作品や県卸商工業協組の協力で、展示、即売両コーナーも立派に準備された。
九月、マンモスの印材が市場に出現する。
十月「印章の日」記念式典が初めて地場産業センターで開催される。
不況の長期化となり印相印の販売の低迷により全国業者より彫刻の以来が減少し彫刻技能関係業者に大きな影響が現れる。なお県内販売業者も受注が下降状態となる。(今日)今後の業界と題し自由討論会が設けられモテギ㈱茂手木勇の講演を実施。
昭和六十一年(一九八六)一月、山梨県印章業組合連合総会を湯村グランドホテルで開催。第五代会長に小林富男を選出。
本象牙・本亀甲を利用した最高級の印章ケースが発売される(創明社)。
三月、ロボット自動彫刻機が発売される(株式会社大栄)
三月二十三日山梨県印判用品卸商工業協同組合主催による第二回スタンプフェア開催(於平安閣)
五月一日山梨県印判用品卸商工業協同組合総会開催。理事長に渡辺高康を選出。
七月二十一日 内藤香石先生ご逝去。七十七歳。
八月、印相印鑑の不振により水牛印暴落する。年頭に初の半額となる。
十月十二日、昭和天皇が地場産業センターにおいでになる。小林富男県印連会長がお目にかかる。
十月二十六日、皇太子ご夫婦(現天皇皇后両陛下)が地場産業センターにおいでになる。
十一月 樋口泰男(第四代山梨県印連会会長)が山梨県政功績者として受賞する。
一月、山梨県印判用品卸商工業協同組合は、第一号の印判用品販売促進用の総合カタログを作成。発行部数一万五千部、全国へ宣伝発表する。
全日本印章業組合連合会の法人化の推進が始まる。
似顔絵彫刻機出現(マイクロフェア(株))。
二月、貴石入り樹脂印材出現する(スター印・モテギ(株))。
四月五日、山梨県印判用品卸商工業協同組合は、第三回スタンプフェアを平安閣で開催。不況により入場者、売り上げともに不振。
五月、TBS放送で「そこが知りたい」を放映。印相印鑑訪問販売の暴利問題で、六郷町の彫刻状況からして象牙実印製造価格一本五、二〇〇円と放送される。
六月、全日蓮は、印相印鑑訪問販売の放映で、クレームをつけることを決定。山梨県下業者への影響が大きいので県連も対策を練る。
六月、商法改正法決定により業界が活性する。「四年間の猶予期限」
七月、カナダ(オワタ)で動植物の国際取引に関する条約締結国際会議が開かれる。象牙材についてはカット・ピース法が決議される。
(1)長さ二十センチ、または重さ一キロ以内の証明書つきであること。(国内は除外)。
(2)取引業者(輸出入)の登録届出制を決議する。
九月、豊田商事の不祥事件が発生する。併せて統一協会の訪販事件が全国的に表面化するにつれ加速度に印相印はもとより業界の営業が落ち目となる。
九月二十七日、印章の日。地場産業センターで、県連主催の第一回技能競技会開催。山梨県知事賞・山梨県商工労働部長賞等が交付される。
十一月中五日、山梨県印章彫刻業組合は創立四十周年記念誌を発刊。
昭和六十三年(一九八八)一月、セラミック印材が市場に初登場する。(黒崎窯業(株)・北九州市)
一月二十四日、第三十七回山梨県印章業組合連合会総会を湯村グランドホテルで開催。
二月、カード式印鑑が多くのメーカーより発売される。電卓に装着したものまで現れる。
四月二十三日、山梨県印判用品卸商工業協同組合の第四回スタンプフェアを平安閣で開催。
五月、山梨県印判用品卸商工業協同組合の総会を開催。新入会員は次の通りであった。
(株)長谷川製作所 長谷川猛・(株)天野製作所 天野一政・(株)赤池次郎・(有)立川ケース製作所 立川茂・山印社・小林一。組合員の数は合計十七社となる。
黒水牛三本セット一万円の印相印鑑が出現する。新聞雑誌市場はもとよりTV放映などで全国に宣伝され、象牙三本セット一万八千五百円も一、二の新聞紙上で販売される。
五月十四日、全国印判用品商工業組合連合会総会山梨大会が下部ホテルで開催される。
五月、鋳造ゴム印鋳形作成ロボット機器が登場し、(株)リンクより商号「ほれぼれ」として発売される。
六月、税務署の業界への調査が重点的に始まる。
チタン合金アプロース信印材発売される。
十月、山梨県印判用品卸商工業協同組合と印章ケース組合が、業界の現状について懇親・研修等議会を開催する。ケース組合は約四十社の製造所が(五十九年現在)半数になり、廃業・転業する。生産本数は現在十七万本で再工事は三十五万本位であったと報告される。
十月、相互銀行が(全国六十八行)地銀に転換することが決まり、印章業界へは約十億円の需要ありと見込まれる。(六四年度二月~四月まで)
十二月、財団法人全日本印章業協同組合認可される(自治省)。加盟組合数は四、五六四名と同時に発表される。併せて全日本印章業組合連合会は同時解散となる。
昭和六十四年(一九八九)一月七日、天皇陛下(昭和天皇)後死去。昭和六十四年一月七日午前六時三十三分と発表。六十四年間、わが国の最も動乱期に在位され、ご心労をお察し申し上げ、国民等しくご冥福をお祈りした。
平成元年(一九八九)同日午後二時、年号は「平成」と発表される。
平成元年は、一月八日よりスタートする。業界もいよいよ代償千二はいることが出来るか、気体は大である。
一月二十日、法務局の東京・大阪の両局で年号改正を加えて、十二日間で会社登記二百社を越すと発表。(平成のつく会社の設立が多い)
一月二十九日、山梨県印章業組合連合会総会を開催。財団法人全印協の発足となるにあたり山梨県印連のあり方勧め方について討議する。十一単組を統合してセクション設置により、山梨県印連合会の機構改正の議論つきる。
二月、一般消費税説明会を山梨県厚生年金会館で開催。主催は山梨県印判用品卸商工業協同組合。講師、顧問税理士小野重博先生。県下一円の印章業にたずさわる商社多数が参加。関心の大きさを知る。
同日、山梨県印判卸商工協組は概税方式に決定する。
二月二十八日、全国印判用品商工組合連合会臨時役員会を名古屋第一ホテルで開催。一般消費税について討議し、外税方式に統一見解を決定する。
四月、一般消費税法案実施が公布される。
五月、山梨県印章ケース製造組合は、全商品三十パーセント値上げを実施する。
六月、山梨県印判用品卸商工業協同組合主催の第五回スタンプフェアを石和グランドホテルで開催。
六月十九日、通産省は象牙製品輸入の全面禁止通達を発表実施する。
アフリカ「ボツアナ」の象牙製品取引規制会議に先立ち一類への昇格が確実との見通しとなる。日本・香港・ベルギー・シンガポールの四国は反対運動を展開するが、五月より六月にかけて全面的に禁止に踏み切る様子との情報により、国際的外交上、通産省も前面輸入禁止を打ち出すことになる。
日本象牙美術工芸協同組合は、再度通産省へ反対要望書を提出し撤回するよう求める。
スーパーロボット自動彫刻機発売される。価格も三百万円以下と安値である。((株)アメージングより)
巨泉の「こんな物はいらない」が日本テレビで放映。印鑑を取り上げ「印鑑なんかいらない」と主張し、サイン制の方が有利と結論づける。
九月、黒水牛材二十パーセント値上をメーカーが実施する。生息地の農耕の近代化に伴う水牛の減少と早魃による入荷の減少が主という。
新素材「エブリナ」発売される(日本触媒科学工業(株)・大阪)。このほかにユニコーン・シープホン、積墨、チタン、プロイン、アグニ、琥珀、セラミックアイボリー等々新しい素材の印材が続々と市場に登場するのもこの頃である。
十月、全国百貨店より象牙製品が消える。百貨店連盟は、国策に添うべく店頭より象牙製品の一斉撤去を決定する。
象牙印材過去最高価格になる。並品五分丸・二寸丈一本一万円(メーカー出し価格)。
十月十六日、第七回ワシントン条約国際会議(スイス・ローザンヌ)開催。象牙材が二類から一類へ移行決定される。賛成七十六ヵ国。反対十一ヵ国、棄権四ヵ国で一類に決定する。日本は棄権する。
ワシントン条約の決定により象牙製品材料が全面取引禁止になり、日本は十月三十日をもって輸出入の禁止を再確認し、九十日以後の条約発行に伴い完全にストップすることとなる。
十一月、関西印材製造家連盟は、象牙の完全ストップにより、水牛、その他の印材の需要を見込んで直ちに各印材の三十パーセント値上を実施と発表する。
十一月、小林成利氏(六郷町)山梨県政功績者として受賞。
平成二年(一九九〇)一月、柘植材は枯渇するが、需要旺盛期となる。職人の高齢化に伴い、柘天丸材の鞘の生産が落ち込んだが、プラスチック製の鞘の新製品が登場する。
二月、全日本印章業協同組合連合会の復活が話題となる。
二月四日、第三十九回山梨県印章業組合連合会総会を下部ホテルで開催。第六代会長に小宮山彰が選出される。県連の協同組合化については継続審議となり、新執行部に一任と決まる。
四月、象牙の実印、十二万円の小売価格が出現する。業界の最高価格である。西部地方のA県連の標準価格であり問題となる。国際環境保護団体からも日本の象牙製品の高騰は象の密殺への好材料になると警告、報告される。
五月十二日、全国印判用品商工業組合連合会の総会(岐阜グランドホテル)で、山梨県印判用品卸商工業協同組合相談役茂手木勇が、全国連合会長に選任される。
五月六郷長にハンコ博物館が六郷町商工会館内にオープンする。
六月十日、第六回山梨県印判用品卸商工業協同組合のスタンプフェアーが平安閣で開催される。
象牙印材の輸入禁止の不安から全国業界の各組合は、新素材に対するトライアルが盛んになり、真剣に印材問題に関与するのは久し振りのことである。
八月、昨年に引き続き、関西印材製造家連盟は、水牛・オランダ・印材の約二十五パーセントの値上を十月一日より実施とする内旨を通告する。これこそ象牙問題にからむ便乗値上げと批判を受ける。
八月十九日、全日本印章業組合連合会再建のため、「日本教育会館」で設立準備委員会が開催される。財団法人では商法に拘束されることが多く不都合の点が生まれ、全日印連復活の声が高くなり二本建てで討議される。同日全印協の会員数は四、二五二名と報告され、発足時より三一七名が退会している。
九月二日、財団法人全国印章協議会第一回全国大会が伊豆山温泉の水葉亭で開催される。全国印章技能協議会が併設され、多くの組合員が入賞するが、特に、木口の部で労働大臣立川智(立川印房)・判下最優秀賞森本徐(森本印房)の入賞は山梨県業界の栄誉である。
十一月、新素材の印材がつぎからつぎと登場する。採樺、トランスラム、聖(ひじり)
平成三年(一九九一)一月、印相印鑑の販売は最悪の状態となり、販売、印刻の業態が悪化し、廃業転業が多くなる。
二月、「エクスペクト」セラミック浸透印が登場する。実印・会社員ともに使用可能となり業者の大きな問題となる(シャチハタ商事㈱名古屋)。古河市に篆刻美術館が長谷川敏博氏個人で創立完成する。
全日印連理事会で新素材印材を全面的に、科学的・物理的分析に着手することを決議し二百万円を予算化する。
四月、バブルの崩壊で、日本経済の騒動国内をゆるがす。
四月、小林成利氏(六郷町)、印章彫刻技能功労者として勲六等瑞宝賞を受賞する。
五月十二日、全国印判用品商工組合連合会を熱海シーサイドリゾートデ開催茂手木勇が会長に就任して第一回の全国役員会である。
六月十六日、第七回山梨県印判用品卸商工業協同組合スタンプフェアーを甲府市市民総合会館で開催。
バブル崩壊に伴い、早くも影響が起こり、象牙印材の安売り五分丸二寸丈四千円と大変な価格が登場し、全般的に値くずれに向かい、購買力は下向きである。
九月四日、平成四年度ワシントン条約京都国際会議を前に茂手木全商工連会長・一瀬山梨商工連理事長・小宮山山梨県連会長ほか八名は通産大臣中尾栄一に象牙印材の輸入緩和の請願書を提出する。
中尾大臣は、平成四年第八回ワシントン条約国際会議京都大会で象牙の問題が主軸であることは熟知しているが、国際的問題であるのでわが国の立場をも考慮して検討したいとの回答にとどまった。
十月、マンモス印材がロシヤより輸入販売される。エイワ通商㈱東京都「一本六千円」
十月、全自動無人ロボット彫刻機が発表される。
十月、松原市(大阪府下)は、印材製造業を市の重要産業に指定する。台湾・中国・香港・より格安の印材が輸入され、松原市の業者を圧迫すること著しく業界保護育成に当たる。
十月、黒水牛(芯持)三本セット一万円の安売り。通信販売業者が出現する。毎日新聞紙上の第一号である。象牙三本セット三万円も併販される。(ジャストとある)
平成四年(一九九二)一月、通信販売業者の競争激烈となる。象牙三本セット一万円(二寸丈)。象牙三本セット一万二千円(二、八センチ丈)・黒水牛三本セット九千八百円などである。
県内業者に先立ち他見の業者より廉価販売競争がおきる。
二月、第四十一回山梨県印章業組合連合総会を下部ホテルで開催。第七回会長に望月市朗が選任される。懸案の協同組合化は根本的に見直して設立に努力することを役員会に一任する。
有田焼ニコーセラミック新印材ゆーいんが発売される(有田市「(株)松録」)。
三月、ワシントン条約締結国際会議京都大会始まる(三月二日より十一日まで十一日間)。参加国八ヵ国、締結加盟国は百二十ヵ国である。
ワシントン条約とは、
一九七三年(昭和四十八年)三月、ワシントンで八十一ヵ国が参加し採決され、二年後の一九七五年(昭和五十年四月)四月より発効になる。正式には絶滅の恐れのある野生動植物国際取引に関する条約「SITES」と略称して呼ばれる。日本も含めて百十二ヵ国が加盟しており、二年に一度国際会議を催し、取引規制対象の野生動植物を選定するとし国際的な輸出入の禁止を定めたるものである。平成二年のスイス「ロザンヌ」での会議で、象牙は付属書第一類に規制されており、京都会議の成り行きが注目されていたが、一類に決定し象牙材の輸出入は途絶する。二年後(平成六年)のアメリカ会議に夢を託すこととなる。
四月、全日本印章業組合連合会会員四、一八八名と発表。平成二年度よりに〇二名減少する。転廃業が約七十五パーセント、組合不信が二十パーセント(ゲンダイ出版より)。不況のきざしともとれる。
四月八日、宮城県県庁では、公職用の印鑑につき、象牙印材は廃止と決定する。新印材汁コアに切り替えと報道され、業界はまた一つの大きな問題を抱えることになる。
四月十六日、二十一世紀産業開発機構研究開発助成金制度(山梨県)に㈱リンク赤池義則社長のゴム印母形自動彫刻システム機が第一号として認定される。
五月、山梨県印判用品卸商工業協同組合第二回(平成四年度版)印章店販促用オールカラーの総合カタログを発行する。部数一万部。
六月、国民金融公庫調査部(平成三年度分)の印章店(小売業者)の経営指標を発表する。
六月、国民金融公庫調査部(平成三年度分)の印章店(小売業者)の経営指標を発表する。
六月二十八日、山梨県印判用品卸商工業協同組合第八回山梨スタンプフェアを甲府市総合市民センターで開催。出店社間の価格競争は激化する。
七月、粗悪品の水牛が市場に出回る。中国・台湾より通常価格の四十パーセント安で輸入されたようであり、印材各メーカーは取り扱いに注意するよう要請文を全国の取扱店へ発送する。
十月、全自動「SX-五〇〇〇」無人連続彫刻ロボットが発表される(日本マイクロウェア)。
十一月、VX-二五号遠隔操作による彫刻ロボットが出現する。(日本マイクロウェア㈱名古屋店)MR・QUICK、電話回線によるパソコン通信システム方式で(1)FAXでデータ「彫刻原稿」をセンター二送る。(2)発注者は原稿をFAXののちに印材を彫刻機にセットする。(3)電話回線を利用してセンターより指令すると彫刻機が自動的に動作を開始する。(4)木口からゴム印の彫刻まで可能とある。
十二月、象牙取り扱い業者の登録制度の導入を通産省が提案か。通産省は全国業者の要望に応えるべく象牙の輸入緩和の対策とし法制化を検討中という。

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