山梨水晶工業組合

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山梨水晶工業組合

昭和六年(一九三一)五月に山梨県水晶組合を設立、昭和初年以来世界的不況の影響と、業者の製品の売り崩しがはじまり、水晶業界は深刻な不振に陥った。各組合とも次々と手を打ったが、落日にも似た退勢を立て直すことは難題であった。製品の生産制限をこころみたが、業者(装身具関係)の約六割が休業したという。このような苦境を打開するために、昭和九年十一月、甲府市の取り計らいで、甲府市役所の会議室に、甲府物産商業組合、および峡南地方の水晶販売業者と製造業者の各代表七十余名が集まり、業界の更生対策を協議し、水晶業界の経営改善を期し、相戒め、相扶け共存共栄をもって、国産水晶の声価向上に邁進せんことを期す。という決議を行い、対策事項の実施を申合わせた。
◎対策事項
(1)県下各地「峡南、岳麗、御岳」に販売業者の商業組合を設立すること。設立後は速やかに県連合会を組織し斯業の統制を図ること。
(2)水晶の声価を保持するため標準価格を制定すること。
(3)本県主要物産取締規程を制定し、水晶の声価保持に関する取締りを県に要求すること。
(4)声価維持のため不当の乱売および誇大の広告をなさざること。
右決議する。
決議に基づいて乱売を防ぎ誇大な広告を廃し、水晶の声価向上を図ることになったが、峡南地方の通信販売業を手とする大手六社より、営業の範囲、取引先の関係、価格などの点が、異なっているのにこれを同一の条件のもとで画一的に拘束することは穏当ではないと反対の意見の表明があり、結局各地区別に商業組合を設立し、県連合会を組織することとなった。甲府市と地方業者との同一歩調は不可能とされ、標準価格は実行されず、業界は依然として不況を続ける年代であった。(『水晶宝飾史』)

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