山梨の篆刻家

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山梨の篆刻家

印章篆刻の伝統を調べると、いろいろな説が見られる。織田時代の細字家は、苗字帯刀の篆刻師である。承応二年(一六五三)に中国より独立禅師が長崎へ渡来して篆刻を伝えたという伝承。延宝五年(一六七七)に中国より心越禅師が来朝して奈良の興福寺に住み篆刻の刀法を伝授した。など篆刻の伝承はさまざま伝えられている。
山梨県の篆刻家は、江戸時代中期の享保、天明(一七二二~八四)ころ、高芙蓉(本名大島孟彪)が有名である。出生は甲府市で、京都に遊学して教養を深め、有名な文人、画人とも親交が深く、画をよくし、特に篆刻かとしては印聖と称された人である。水晶篆刻の創始者ともいわれている。
明治・大正時代にかけて篆刻師、として活躍した有名人は『印章世界』の三井峡江は、「甲州印人伝」として次の十六氏をあげている。
大島芙蓉 安達畴邨 高田緑雲 河西鴨江 芦野楠山 斉藤香雲 山本硯堂 松浦羊言 望月楽天 河西笛州 標 兜谷 内藤香石 小林素峰 氏原小楠 遠藤拝山 鈴木桂洲
これらの篆刻家の弟子の中から優れた篆刻家が多数輩出していったのである。
明治二十七年六月発行の「甲斐繁昌記」による名篆刻師は次の通りである。
甲府市 含章堂 長田宗春   (穴山町一丁目西側)
      玉潤堂 土屋松次郎 (八日町一丁目北側)
      推金堂 土屋宗幸   (桜町四丁目東側)
      金生堂 土屋友次郎 (柳町二丁目西側)
      国華堂 山田白峰   (柳町三丁目大神宮前)
      耕石堂 山内竹塢   (柳町三丁目西側)
      金声堂 藤森奇谿   (常磐町第十銀行東)
岩間村 晶光堂 渡辺素堂
韮崎町 金精堂 新藤喜作
台ヶ原村 小倉屋 細田政造
このほか樋口硯斉、依田東渕の名が挙げられる。いずれも印章王国山梨を育み、生み出した篆刻の名人たちである。
注・一般的に篆刻とは石類、金属類を刻することをいい、彫刻とは木口物を刻することを呼んでいた。

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