出商販売

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出商販売

明治二十年(一八八七)、六郷町鴨狩津向の河西万次郎は、小田原から東海道筋・三重・京都・大阪・四国地方まで出張販売したという記録が河西家に残されている。(『六郷町誌』)
明治三十年(一八九七)前後の岩間足袋産業の崩壊とともに、遠藤常太郎(六郷町岩間)、望月政五郎(同町楠甫)らは、特に大々的に出商による印章販売を行い、売子(勢子ともいう)十数人を連れて水晶石の販売を続けていたという。印章のほか数珠、指輪・置物・印伝袋物等も商品の中に加えていったようである。副業であったハンコの販売がいよいよ専業に変わってゆく時代である。これらの販売員たちは正月と盆の二度・帰宅し、一年中全国を巡り木口印も加わり大分、業績を上げていたようである。
商いの方法としては、ある町で一週間から十日間くらい仮の店舗を設置し地方新聞に折り込み広告を出し出店を需要者に知らせ、店頭から町中に幟りを何本か建て、師から町へと次々と移動し、全国を巡回するという出張販売方式を取っていた。この方法は昭和十五年ごろまで続いたそうである。

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