通信販売

目次へ戻る

<前のページ次のページ>

通信販売

水晶材は宝石に準ずるとあり(『水晶宝飾史』)、郵送することは禁止されていたのであるが、印章業界などの強い要望により、明治二十三年(一八九〇)に郵送が許可されたので、通信販売の道が開かれた。
明治三十四年(一九〇一)七月、甲府市柳町三丁目の国花堂篆刻師山田白峰が、水晶印の通信販売の広告をするとあり、これが最初の宣伝ではないかと思われる。このようにして明治二十年のなかば頃より山梨県下の印章販売は、通信行商と両論によた爆発的な売れ行きとなり篆刻師は販売の実績の向上とともに増加していった。六郷町のいわゆる河内地方では、大正三年(一九一四)落居村(六郷町)の遠藤良一が「甲南水晶商会々報」を発行し、その広告欄を使い印章販売をしたのが最初であるとされている。
昭和六年(一九三一)九月におきた満州事変を契機として、大陸(台湾・朝鮮を含む)に通信販売が進出するようになり、出商販売と共に盛んに行われるようになった。国中地方の通販業者は不明であるが、六郷町には大手の通販業者が設立され国内はもとより、海外への営業を伸ばし大もうけ儲したようである。当時の大手通信販売業者は、
昭和八年 日本水晶(株) 笠井暉一 (旧岩間)
昭和九年 帝国水晶(株) 笠井善三 (旧楠甫)
昭和九年 日満水晶(株) 遠藤政一 (旧落居)
昭和九年 甲州水晶(株) 都築尭春 (旧岩間)
昭和九年 東洋水晶(株) 望月修三 (旧落居)
昭和九年 昭和水晶(株) 鈴木 奏 (旧鴨狩津向)
このほか大小の国内向けの通信業者が多数あった。
山梨水晶(株)米沢良知(下部町)は、昭和初期より通信販売を開業し、噴射篆刻法を開発した。昭和十二年ごろには甲府市桜町(中央四丁目)に篆刻師を多数雇用して生産まで一貫した大々的な会社を設立した。
昭和十六年、太平洋戦争に突入すると、若者は出征・微用に狩り出され、昭和十五年の「奢侈品等製造販売制限規則」の実施等により、印章経営に大きな影響を与えるようになり、昭和十七年「企業整備令」が発令されるなど、戦時色はいっそう深まり業者は自然淘汰のかたちで消滅していった。

目次へ戻る

<前のページ次のページ>