山梨の印章業の沿革

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山梨の印章業の沿革

山梨県の印章業は、県内に水晶が産出されるようになった文久年間(一八六一~六三)に水晶印の篆刻からはじまったといわれ、今では印章は全国一を誇る産地といわれている。西八代郡六郷町は「ハンコの町」の愛称で全国に知られ、全国生産量の五〇パーセントをこの町だけで占めていたこともあった。
六郷町を中心とするいわゆる富士川沿岸の峡南地方に発達した印章、印刻の歴史は、明治二十年なかばにさかのぼるが、この地方は古くから山間部に開けた町村が多いので耕地は極めて少なく、江戸時代には旧岩間村を中心として足袋の製造を副業とし、埼玉県の行田市、岡山県のたびの産地と並んで岩間足袋といわれるほどの盛んな地方であった。しかし、明治時代に入ってから機械化による大量生産による製品が多くなり、安く出回るようになると、小規模企業は圧迫され、次第に足袋の業者は姿を消していった。もともと耕地の少ない地方であるから、これに代わる産業をみつけなければ生計が立ち行かないことから登場したのが印章産業であった。
はじめは甲府を中心とした江戸時代からの水晶研磨業と提携して、ここで生産される水晶印を県内各地に行商することに出発点をおき、全国的に販売網を広げ、峡南地方の各町村でも行商をはじめ、太平洋戦争まではその販路は朝鮮・中国・台湾・フィリピンにまで及んでいたのである。
印材の販売は当然印刻業の発展を促すことになり大正時代の末期には足袋産業に変わって全国に印章の産地として日本一の地盤を固めるようになった。山梨県下の印章関係者の印章産業の中心となっているのが六郷町である。
主には印章彫刻業と出商販売であったが、現在は印材製造・印材卸業・通信販売・印章ケース・ケース用金枠業・ゴム印製造業・台木製造・印袋製造・メッキ関連業と印章に関係のある業種はほとんどそろっている。
印材も水晶から象牙・水牛・木・金属・陶器・化学材と多種多様な印材で印章が作られるようになって印刻の工程も主な手刻法でその技術も高度を要求され名工も生んだ山梨県であり、全国に古くより山梨の印刻師は知られるところである。最近の印刻への科学の浸入は著しく、ロボットまで参入しているのが現状である。手刻法は絶対に保持する必要のある技法であることは間違いはないはずである。
これからは伝統産業として、どうして次第に継承しようとするのかが課題で、後継者づくりをめざす「てんこく教室」を開設し、積極的な技術指導と経営者の勉強をすることが業界に必要なこととなっている。

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