日本の印章

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日本の印章

わが国に現存する印章の最も古いものは天明四年(一七八四)に筑前(福岡県)の志賀島で発見された「漢倭奴國王」という印文のあるもので、西暦五十七年に中国で作られたものであり、これが使用されたかどうかははっきりしていない。現実に使用された印章は、奈良時代のものが最古ということになる。
奈良時代の前期、孝徳天皇(六四語)の大化の改新で律令国家が成立するが、この時代に中国の制度を取り入れて公文書の行使が開始された。ここで初めて印判(ハンコ)が定められる。文書の効力を確実にするため印の使用が見られるが、印判を作ることは国家の特権であり、私人の印章を作るのは国の許可が必要であった。
『日本書紀』に持統天皇(六九二)に始まり、大宝元年(七〇一)に律令が完成して天使の内印太政官の外印、諸司印、諸国主印の四種がその形状、用法まで制定されたと記されている。これらの印章は、二つの目的があったと考えられている。一つは文章の真を正すこと。一つは律令国家の權威を示すことを目的としたのである。
「印の用たる実に信を取るにあり、公私これによって嫌疑を決す」とある。しかし主たる意味は、権力の象徴であり、印の使用は公私に限られていたことにより、それを推察することができるのである。
天平勝宝八年(七五六)藤原仲麻呂は孝謙天皇より「恵美」の姓を賜り、そのとき特に「恵美家印」を用いることを許されたとしている。それが家印の第一号と思われる。しかし個人の名前を刻した私印(無許可)を捺印した文書もこの時代のものが残っているので、こういう違反者もあり面白いと同書にある。平安時代になると印の使用も広がったようである。と諸文献に見える。
この時代の印は、鍛冶屋に命じて作らせた。つまり鋳造印である。その材質の多くは銅製であった。印の字体は中国の篆書にとらわれず、日本独特の字体が刻まれており、いわゆる「倭(やまと)古天」といわれる字体である。一般の人は印鑑をもつことは許されず、「画指して証をなせ」という条文の通り、字のかけないものは、代筆された文書に直線で食指の長さを記し、かつ関節の所に短い横線を入れたものがその証印の代わりとされた。男性は左指、女性は右指を用いたとある。
平安時代に入ると「手印」手形と呼ばれ、掌(てのひら)に印肉をつけておすことをした。その手形の制度は江戸時代まで使用されている。

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