印綬とは

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印綬とは

後漢書の「東夷伝」の条には、光武帝(五七)の中元二年、倭奴国が奉朝賀し、光武帝が賜うに印綬をもってしたと記されている。この印綬というのは、綬はくみひもと読み、印を腰に下げるための紐のことである。印には鈕(ちゅう)と呼ばれるとってがあり、それに穴があいていて、綬を通して腰に下げたのである。綬を結ぶといえば官につくことで、一国の印綬を帯びたことは宰相になることである。
倭や倭人(和人)というのは当時中国で言った、日本・日本人のことである。このように光武帝から倭奴国王に金印が送られたことは後漢書の記事によって知られているが、天明四年(一七八四)福岡県志賀島で、その金印が土地の百姓によって発見された。このことは各伝記の通りである。そしてこの金印は藩主黒田家の手に帰した。その刻字は、「漢(かん)の倭(わ)の奴(な)の国王(こくおう)」と読むことができる。重量は二十九匁(約一〇八グラム)であるという。
この印は中国でまだ紙が出来る以前のものであるので、木牘(トク)や竹簡の封泥におすために作られたもので、陰刻であり白字のため泥の上におして文字を浮き出させたものである。
現在世界でハンコを使用しているのは、日本・中国・台湾・韓国であるが、中国は公印のみの使用である。戦後中国でも一般国民が使用するようになったが、十二億余の国民と、その姓は三百種くらいと少なく、制度的にもハンコとしての価値は疑問である。
かねて十五年ほど以前に中国を旅行した際に、観光バスの案内人からハンコを見せて頂いたが、それは木製の三分五厘角(一〇・五ミリ角)のハンコで、業務用として持参していたことを覚えている。国家公務員である彼らがハンコを使用したことを一度も見てはいないが、今日の旅行者の行動の報告書類などを提出する場合に用いられたと推察される。彫刻は上手な篆書体で刻してあった。
西洋でも古くはハンコがあったというが、私用、専用であったといわれている。西洋では丸型と小判型を用い、中国は角型印が主であるが、商取引としての利用はないということである。中国のハンコは古くは一種の位(くらい)を現すことに使われてきたのであり、天使、帝、王様等から印綬されるということである。
日本の勲章は中国古来の印綬を伝承したもので正一位、二位は黄色、正三位、四位は赤色、正五位以下では水色で、中国では約一メートルの紐に鋳造の印をつけて下賜され、この鋳造印「金印」には紐を通す穴があり、それにそれぞれの色の紐を通して腰に巻いて、ハンコを腰に下げて公式の場所へ出席することになるが、その紐の色によって階級が区別できるようになっていた。この制度を印綬といった。(内藤香石談)
わが国でもこれに習ったのが紫綬褒章(文化・芸術)・藍綬褒章(社会的貢献)・黄綬褒章(金銭的貢献)等があり、戦前の軍人の将官、佐官、尉官の刀房の色分けもこれと同じである。綬は糸を編んでこれを受けるとの意味である。

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